gokutsubushit’s diary

精神障害者が年金もらいながら、30半ばにして子供産むことになった。

なんでもない普通の人間なのだから

有史以来、どれほどの数の命が生まれ消えていったのだろうか。名もない人間が一つの生涯を生きて終えることは、シャワーの水のあぶくが排水溝に流れていくにも等しいくらい呆気ないものだ。
生まれて死ぬまで人生は辛いことの方が多いと思っている。
楽しく生き生きと生きていかなければならないなんて法律もない。
結婚相手を自由に選べたり、職業を自由に選べたり、学校に行ける権利があったり、色んなことが選べると人間は悩むし、比べたがる。
能力も容姿も生まれ持った個人差があるのだから、人と比べて嘆く必要は無いのだが、「やれば出来るのに、私にもできたかもしれないのに」といった不平等感、機会損失感を感じやすい世の中でもあるなぁと思う。
趣味や仕事にキラキラしてなきゃいけないなんてことはない。
自分と似通った境遇の人間が輝いて見えたとしても、それは私やあなたではなく、彼ら彼女らであって、全然別の人間なのだ。
きっと彼ら彼女らは能力があるのだ。
私には無い。
ただそれだけであって、不平等でもないし、損をしている訳でもない。
私にしか出来ないことなんてほとんど存在しないし、逆に言えば、「私がスーパーへ買い物にゆくのに通りを歩く」なんてのは私にしか出来ない。私が私の息をするのだって、私にしかできない。
生きてるだけでいいんだよ、なんて綺麗事を言いたい訳じゃないが、生きていける見通しがなんとなくでもたっているだけで、幸せなことではないのか。雨風しのげる家とご飯があれば、いいじゃないか。
貧すれば鈍すると言うが、金があっても鈍麻している人間は多い。

活躍なんてしたくないし、尊敬されたりもしたくない。最近めっきり人に会いたいとも思わなくなった。当たり前のことをただやるだけの体力がほしい。