gokutsubushit’s diary

精神障害者が年金もらいながら、30半ばにして子供産むことになった。

生きるコスト。

一人は寂しい。

お金があっても一人は寂しい。無尽蔵にお金があれば、何かと誤魔化しながら80年という人生を逃げ切ることも出来るかもしれない。

そんな人は稀だが。

体と心がもつ限り、夫と子供のために手間も時間も使うことに抵抗はない。

むしろ一人で自分と向き合う方が苦しい。

着飾っても、いいレストランに行っても、虚しい。本を読んでも、映画を見ても、話す相手がいなければ寂しい。

自分の言葉で話せる相手とはそうそういるものではない。


死んだ人にむかって、「生きていてくれさえすれば」と言うのは簡単だが、生きているうちに言ってやらなければなんの意味もない。

実際、生きるにはコストがかかるし、生産能力のない人間にたとえ家族といえど「生きてるだけでいい」とはなかなか言えないのが人間だ。寝てばかりなら洗濯のひとつや洗い物くらいして欲しい。

それすら出来ないなら、大人しく慎ましく引っ込んでろ。

そう言いたくなるのが普通の人間だ。

私は費用に見合わない、生産能力のない人間になってしまったので、数少ない出来ることをやって行くしかない。じゃないと申し訳なさすぎる。

人が当たり前にしている事でもとてつもなく疲れてしまうので、何かと勘弁してもらっている。

夫は優しいのでゆっくり休めと言ってくれるが、心の底からゆっくり休めなどしない。


毎朝、お弁当を作る。当たり前のことだ。

なのになんでこんなに疲れてしまうのだろう。掃除機をかけ洗濯をし、スーパーに買い物に行き、夕飯を作る。たったこれだけ。

なのに。

なのに、悲しくて泣いてしまう。

こんなことしか出来ない自分が情けない。

子供の世話も泣きながらするのであろうか。

泣きながらでも出来ればまだいいほうか。