gokutsubushit’s diary

精神障害者が年金もらいながら、30半ばにして子供産むことになった。

入院した

精神症状が悪化の一途をたどるなか、家人の負担も考えて任意での入院をした。一週間ほど前の話だ。

くすりは朝のサインバルタと、よるのデパケンレボトミンくらいで様子を見ている。リーマスを700錠飲んだ人間に多くの薬は出せないのだろう。

多少症状は和らいだが、意欲は依然として湧いてこない。本気で朝から晩まで横になっている。比較的元気な人と交流したい気持ちもあるが、もともとの気質が人見知りのため緊張する。カウンセリングを受ける前はキャラを作りこんでいたので社交的な人だと思われていたふしはあるし、実際社会性は健全な人と変わりなく保てていた。

会社でも可愛がられていたと思う。

せせこましい病院だが、偶然にも二人部屋が一人で使えているのでありがたい。

以前新しいアプローチとしてNLPカウンセリングを受けたが、まずまずの印象だった。

ただ感情の処理をするのはかなり体力のいることなので、今のうつ状態では耐えられそうにない。

退院してからもう一度検討してみたいと思う。

ひとつ嬉しいことは、入院してとにかく寝まくっていたら、少し本が読めるようになったことだ。まあ、閉鎖病棟で何もベケットの「ゴドーを待ちながら」を読むこともないと思うのだが、、、


今までの人生で、何が辛かったかといえば、数多あるが、とにかく自分の言葉が通じないことだった気がする。ごくまれに理解し合える友人は少ないけどいるが、そういう人達に出会えなかったらと思うと、ぞっとする。

常に誤解を受けてきたと思うし、今なお誤解されることは茶飯事である。


今日は旦那さんが見舞いに来てくれたが、別れ際は淋しいものだが、一人になると妙に落ち着く。テリトリーに入ってこられるのが苦手なのだ。たとえ家族であっても。

強烈な「見捨てられ不安」があるからこそ、人との距離を縮めるのが怖くて仕方ない。

ただ、ここが課題なのもわかっている。


感情の蓋を開けられてしまった今となっては

、後戻りはできないし、かといって今までと違った人間関係の構築の術を知らないので、暗中模索というところだ。

しかしまぁ、何にせよ欝では何もできないのでこの夏は閉鎖病棟で過ごすことになるだろう。

意外と居心地もよい。

家に帰りたくなくなったらどーしよ。