2019-09-14 畢竟、問題は人格にある。 躁転して数日で気分は落ちてきた。これでよいのである。つまるところ私の何が問題かといえば、私が私である限り苦痛は苦痛のままなのだろう。躁鬱のせいではないだろうな。こういう人間はこの社会では生きるのが困難なのだろう。息子が生まれてもうすぐ3ヶ月になるが、まだ3ヶ月かよと思う。毎日長い長い代わり映えのない昨日と全く同じような今日を繰り返して長い長いと思いながら夜が来るのを待っている。夫は相変わらず無職である。